田原は1995年10月から『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の金曜レギュラーを務めており、同時期にSMAPの中居正広は木曜、香取慎吾と草なぎ剛は火曜に出演していた。となれば、レギュラー全員集合の『クリスマス特大号』ではどうなるのか。同年12月25日放送のVTRを見ると、やや不自然とも思える形で入れ替わるように登場した。結局、前述の『夜ヒットSP』以来、田原は24年以上もジャニーズ事務所のタレントと共演していない。
そう考えると、テレビ局の“忖度”が始まったのは、おそらく1990年代後半からではないか、と推測される。
主な理由は、2つ考えられる。1つは、1970年代や1980年代に力を持っていた制作者が1990年代後半以降、現場から退いたこと(幹部になるのはごく一部)。もう1つは、1990年代にジャニーズ事務所からデビューしたSMAP(1991年)、TOKIO(1994年)、V6(1995年)、KinKi Kids(1997年)、嵐(1999年)というグループが全て大ブレイクし、田原独立の1994年3月時では考えられないほど、超一大勢力となったこと。
2000年代に入っても、ジャニーズ事務所は人気グループを続々と生み出した。そして、テレビ局のスタッフは“超大手事務所のジャニーズ”しか知らない人ばかりになったのだ。
田原は2009年に私が取材した時、こう述べていた。
〈俺に力があれば、オファーはくるんだよ。そうじゃないから、俺の現状がある。それは、認めなきゃいけない。ジャニーズの弊害と言うつもりは一切ない〉(FLASH・2009年7月21日号)
「新しい地図」の稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾も不満や愚痴を語らず、新たな分野に挑戦している。だが一方で、今回の報道は、卒業した所属タレントとの共演を実現するチャンスとも考えられる。新しい展開を待ちたい。
■文/岡野誠:ライター・芸能研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は3刷に。同書には、〈不透明な投票方法「an・an」「嫌いな男一位・田原俊彦」への疑問〉〈たった一週間で扱い方が急変した「ビッグ発言」〉〈十五分の一に激減したステージに向かう精神力と意地〉などの項目も並んでいる。